被災者に“寄り添う”思い、あなたは持ち続けられますか?

被災者に“寄り添う”思い、あなたは持ち続けられますか?

 だが、被災した方たちに思いを寄せる『気持ち』は、ひょっとすると忘れられてしまうかもしれないなどと思ったりもする。恐らくそれは、その人がどういった距離感で、今回の地震に遭遇したかで変わってくるだろうし、故郷が東北の人、親せきや知り合いの有無、土地とのかかわり、地震当日の経験。あるいは、その人の価値観や、これまでの生き方にもよるだろう。

 そもそも、恨みやねたみは無意識にわく感情だが、人を思いやる気持ちは、意識しないとなかなか持てない感情である。かつて小説家の司馬遼太郎さんは「優しい気持ちは、努力して持たないと持てない感情である」と語ったが、少なからず、今ある『気持ち』を忘れてしまう人はいるに違いない。

 だって、人に対して優しい気持ちを持ち続けたり、人に寄り添う気持ちを持ち続けたりするのは、決して容易なことではないことだから。人間というのは、日常に疲れたり、日常にちょっとしたストレスを感じたりするだけでも、たちまち自分のことしか考えられなくなってしまう愚かな動物でもあるわけで。

 人間なんてそんなもの。完璧な人などいないのだ。


今ある“気持ち”を日常に組み込む

 でも、仮に、本当にうっかり意図せずして、忘れてしまうことがあってもいいじゃないか、と思ったりもする。

 こんな言い方をすると誤解されてしまうかもしれないが、つまり、たとえ忘れてしまうことがあっても、被災地の方たちに寄り添い続けることはできると思うのだ。何も難しいことはない。今ある“気持ち”を日常に組み込めばいいだけだ。

 今回の震災が発生して以来、内省し続けた、「自分にできる」こと、「自分にも、これだったらできると思えた」こと。そんな出来事を、取り戻した日常に加えてみればいい。

 募金をすることを日常にする。ボランティアに行くことを日常にする。被災地に必要な物資を送ることを日常にする。東北の特産品を積極的に買うことを日常にする。復興が進んだ時に東北に旅行に出かけられるように500円玉貯金を日常にする。

 それは毎月でもいいし、2カ月に1回でもいいし、半年に1回でもいい。

 日常になれば、何も考えなくても身体が動く。日常になれば、当たり前のこととして続けられる。そして、何よりも、そのルーティンをこなす瞬間には、確実に被災した方たちにココロを寄せることができる。“今”ある気持ちが、この先もずっと繰り返されることになる。

 自分にできる範囲の繰り返しを、1人でも多くの人が、1社でも多くの企業が、1つでも多くの組織が持てれば、それが長い復興への支援となるのではないか。

 そうだよなぁ。今の被災者の人たちに対する気持ちも、地震が起こる前の日常の気持ちも、どちらもこれからの僕たちの日常の気持ちの持ち方としては少し極端な気がします。それでも、地震の前と後では僕たちの日常は変わらなければならないし、勝手に変わっていくところもあるのだから、どうせ変わるなら、今の気持ちをしっかりと上手く残して変わっていきたい。