今こそ隣人に対して寛大になろう

今こそ隣人に対して寛大になろう

  ガソリンにしてもそうだ。
 乗っているクルマのガソリンタンク以外に、別立ての保管用タンクを持っている給油客が何人いるというのだ? スタンドに給油の列ができたのは、品切れの不安を感じたドライバーが駆けつけたからだ。が、それ以上に、そもそもガソリンが品薄で、多くのスタンドが閉店していたからだ。「買い占め」という表現も不当だ。だって、ドライバーは、自分のクルマを満タンにしただけで、他人の分のガソリンを買い求めたわけではないのだから。それに、一度満タンにした以上、次の給油までには、当然期間が開くはずで、ということは、問題は個々のクルマの走行距離であって、給油の有無はバッファーに過ぎないからだ。

 つまり、蓮舫大臣の「被災地に支援物資が……」云々の発言および、枝野長官の買い占め自粛要請は、言いがかりだということだ。でなくても、一定量の責任転嫁を含んでいる。そう申し上げねばならない。

 要は物流がうまくいっていないのだ。その不満を政府や業界に向かわせないために、彼等は、燃料不足の原因を「愚かで利己的な消費者」(←つまりわれらの「隣人」ということ)に押し付けようとしている。
 で、その「隣人離反発言」に、賛同する隣人たちが、けっこういたりするから、話は余計にやっかいになる。

 非常時になると「愚かで利己的な国民」という、この「愚民観」とでも言うべき、奇妙な考え方が非常な勢いで蔓延する。
 2ちゃんねるのメンバーたちが、「愚かな隣人」を罵倒するのは毎度のことで、一種芸風みたいなものだ。が、日経ビジネスオンラインのような賢明な(はずの)読者層に支えられているコンテンツにあってさえ、コメント欄が、愚民批判で埋まっていたりする。結局、この国では、多数派の国民が、自分以外の国民を「愚民」と感じているということなのであろうか。だとすると、なるほど、われわれはまるごと「愚民」ということになる。そんなことで良いのか?

 とどめは、「天罰」だ。
 石原都知事閣下は、14日、震災に関する記者の質問に対して、以下のように答えている。
「日本人のアイデンティティーは我欲になった。政治もポピュリズムでやっている。津波をうまく利用してだね、我欲を1回洗い落とす必要があるね。積年たまった日本人の心のアカをね。これはやっぱり天罰だと思う」

 ……私は、論評する言葉を持たない。
 閣下ご自身に、自らのご発言の反響を噛み締めていただくほかにどうしようもないと思う。これはやっぱり天唾だと思う。

 ん〜どうなんでしょう、食料やガソリンの被災地への流れがどうなっているかわからないのでなんとも言えないです。でも確かに、例えば全国のスーパーやガソリンスタンドから被災地にトラックやタンクローリーで運びます、みたいな話は聞かなかったと思うし、普通はそういうのは、被災地にかなり近い地域は別として、メーカーの倉庫からか、輸入している港から要請を受けて運ぶ方が現実的な気もするから、小田嶋さんが言っていることにも一理ある気もします。もちろん、ガソリンの問題であれば石油会社に掛け合う、ということはさすがにしてると思うので、多分政府の人々は関係のない地域でものが品薄になることで混乱したり不安が広がったりすることを嫌ったのでしょう。
 愚民批判みんなそんなにしてたかな……。