「とりあえず働いたら?」はマチズモか?

「とりあえず働いたら?」はマチズモか?

 自尊心を得る方法はたくさんある。愛されたい人に愛されている。父である。母である。学歴がある。おもしろい人間だと自認できる。人生を楽しんでいる。また、金銭を得る方法もいくつかある。投資でもオークションでもいい。でも一定以上の運や能力のいることではあると思う。それこそ「持っている」ことが必要とされる。

 「働くこと」は、様々な人間が生きている上での行動の中で、自尊心と金銭を同時に得られる数少ない手段なのだと思う。わたしは、本当にいろいろあるけれども、働いていることでやっと、普通の人になっている自覚があるからこそ、「とりあえず働いたら?」と言うのだろう。

 「働くこと」は「それほどは持っていない」大多数の人が、それでもそれなりに誇りを持って生きていくための、もっとも妥当な方法である。だから人は、金銭的なことを越えたほとんど本能的なレベルで失業という言葉を忌避し、仕事に対して自分を調整しようとする。過労死やパワハラを畏れ、ひどく憤る。それらは、仕事の側に属するものであれ、人間から働くことを奪うものだからだ。

 やっぱりこれはマチズモではない、と思いたいのだった。どちらかというと、推奨とか推薦ということにしておいて欲しい。働くことは、そうしないことよりはたぶん人をましにする。

 「ポトスライムの舟」の津村さんの記事だ〜。「とりあえず」働くってとこがポイントだと思います。つまり、働くことで何がいいのかということは、実際に働くまでわからないということです。だから、とりあえず働け。働いたら、わかる。そういう一面も、あると思います。