僕も上司も同僚もやり過ごす、“ある種”のパワハラの正体
乱暴な解釈かもしれないが、メールやツイッターなど、すぐに文字にすることが当たり前の世の中では、視覚から入る「文字」が、耳から聞こえる「言葉」がコミュニケーションのすべてとなるのではないか。
文字にならない感情、言葉にできない気持ちをくみ取った経験のない人は、言葉にしか反応できない。その背後にある気持ちなど、一切気にすることもなく言葉がすべてだ。
これが、“ある種のパワハラ”を生み出す背景に存在している。そう思えてならない。
“ある種のパワハラ”とされた上司は、部下とかかわるのが怖くなる。そして、「パワハラでしょ?」と認識した部下は、上司を受け付けなくなる、つまり、“ある種のパワハラ”は、相手とのコミュニケーションを完全に断絶する。
いったん断絶した相手がその後に何を言おうとも、不快な感情しかわき起こらない。それは、上司にとっても、部下にとっても、不幸な出来事である。
言葉でしかコミュニケーションを取れない人たちが、ただの言葉を、過剰なまでに“凶器”に変えてしまっているのではないだろうか。
言葉は怖い。こっちが思ってもみなかったような受け止め方をされることがある――。
だからこそ、受け手が、相手の言葉の背後に潜む、心の声をくみ取る能力を高める必要があるのではないか。
「愛してる」と言葉にするより、無言で傍にいるだけの方が、相手への愛情が深いことがある。「キミはできるね」と褒めるよりも、「バカだなぁ」と頭を小突くことの方が、相手を認めていることだってある。
そんな言葉にはないコミュニケーションが、成立しなくなっているのが、今の世の中なのかもしれない。
「うん? ってことは、パワハラはすべて受け手の問題ってこと? そういう考えがパワハラを横行させるんだぞ!」
きっとそうやって、今、私の文字に過剰に反応し、怒りをあらわにしている人がいることだろう。恐らくいる。そう受け止める人が増えていくことで、“ある種のパワハラ”はますます増える。言葉こそがすべてと、コミュニケーションの本質を勘違いしていく人も増えていくことだろう。
そんな世の中が、そんな会社が、住みやすいとは私にはこれっぽっちも思えない。
だって、言葉を受け取る側の力が低下することで、マイナスはあってもプラスになることは1つもない。この世の中から言葉が消えない限り、受け取る力の意味も、その大切さも伝わらないのかもしれない。
そのとおりだと思います。この河合薫さんという人の記事はいつも結構好きです。
言葉には、「言葉そのもの」によるメッセージと「その人がその場面でその言葉を言うこと」によるメタ・メッセージがあります。「今日の夜、時間あるかな?」という言葉でも、単純に予定を聞いてるときもあれば、下心がある時もあります。時にはそういう曖昧さを利用して言葉を繰り出すこともあります。
そういった場面や表情や声色といった言葉そのもの以外のメッセージを感じ取れる能力を鈍化させると、間違いなくコミュニケーションがうまくいかなくなってしまいます。
そういったことをみんなが共通に認識できるような世の中にならないと、「ある種のパワハラ」はなくならないです。じゃあどうしたらそんな認識をみんなで作れるでしょうか。とりあえず僕は個人的には「顔の見えるコミュニケーション」をもっと大切にしたいなと思っています。「とりあえず会ってじっくり話す」ことの繰り返しでしか、そういう「メタ・メッセージ」のアンテナは伸びていかないような気がするからです。
インターネットは確かに怖いです。本当によく「言葉だけ」で意味が取られている場面によく出くわします。気をつけないとですね……。