鈴木謙介『サブカル・ニッポンの新自由主義』

 繰り返すが、社会科学的な施策は絶対に必要だ。しかし、それだけでは私たちは「ほんとうに」幸せになることはできない。それどころか、過剰な社会科学の呼び出しによって私たちは、実存的主体ではなく政治的な主体としてしか、世界に関わることが出来なくなってしまう。「そんなに苦しいのなら、現政権を倒すために、私たちと一緒に闘おう」と呼びかけられるとき、私たちの苦しみは、「投票する有象無象の中の一票」へと切り縮められる。求めていたのは、闘って誰かから何かを奪うことではなく、当たり前に幸せになるということであったはずなのに。

 いわゆる「ロストジェネレーション」や「ニート問題」、「非正規雇用問題」、「世代間闘争」について社会学的に分析されています。
 面白かったのは、世代間闘争の「ロスト・ジェネレーション」の立場の人々は「既得権益者たちは資本を持っている。それをわれわれによこせ」というのだが、それは「『本当の幸せ』が自分の外部にある」という信憑からくるもので、しかもその信憑は「ロスト・ジェネレーション」と命名した社会の人々全員によって作り出される、という様な部分。鈴木謙介の言葉を借りて言えば、

 ロスト・ジェネレーションという言辞は、ある世代を、こうした〈見る―見られる〉関係のなかに固着し、見る側の求める不幸を引き受けさせる。だから「見られること」は、その視線を内面化することであり、そこには自分自身をそのように「見る」ことも含まれている。再帰化された見る側の視線の中で、私たちは「それをよこせ」とか「私たちは不幸だ」とか、あるいは「(私のために)社会の問題をなんとかせよ」と言わされるのである。

 という部分です。
 そこで鈴木さんはあるのかどうかも疑わしい「本当の幸せ」を他から奪おうとするのはやめて、今手元にあるリソースで「幸せになろう」よ、社会学その他の分析も、そのために何ができるか考えようよ、という話を最後の方にしていて、とても共感しました。結構名言が多くて好きです。