内田樹『街場のメディア論』

街場のメディア論 (光文社新書)

街場のメディア論 (光文社新書)

 メディアの不調はそのままわれわれの知性の不調である。
 そういうふうに言ってよいかと思います。メディアが扱わないトピックについてはほとんど何も知らない。メディアが繰り返す定型的なフレーズは苦もなく再生できるけれど、メディアでは誰も口にしたことのない言葉づかいや、誰も用いないロジックは、そんなものがあることさえ知らない。
 メディアの不調と僕たちの知性の不調が同期的であるとすれば、まるで他人事について語るように、鳥瞰的な立場から「現代メディアは……」というようなことが軽々に言えるわけがない。言ってもいいですけれど、その場合の「現代メディアは……」という批評の言葉は、現代メディアで垂れ流しされている定型的な「現代メディア批判」のワーディングを機械的に反復したものにしかならない。僕はそう思っています。
 メディアについて批評的に語るということは、何よりもまず、現にメディアを通じて定型化・常套句化しているメディア批判の言説から一歩離れて、軽々にそれを繰り返さないということです。そこからしか話は始まらない。

 確かに、メディアはビジネスである前にコミュニケーションであるので、お金の話より先に考えるべきことがあるということは、働き始めてからも常に考えていたい。
 定型句を繰り返すことで「語っている事象について自分がイノセントであり、俯瞰的に語ることができる」という前提が形作られていき、「世論」ができていくということは、メディアの一つの病気であり、それ自体はもう「仕方のないこと」なんだけど、それについての「病識」はもっているべきだ、という大まかな流れは本当にその通りだと思います。
 これは何もマスメディアだけに限った話ではなく、ソーシャルメディアにも十分言える話で、一人ひとりが気をつけた方がいいことなのだろうなと思います。