巨大地震の経済的影響をどう考えるか

巨大地震の経済的影響をどう考えるか

 ソーシャルキャピタルという概念の生みの親である社会学者のパットナムは、これを「人々の協調行動を促すことにより社会の効率性を高める働きをする信頼、規範、ネットワークといった社会組織の特徴」と説明している。つまり、信頼関係、ネットワークなどは一種のストックであり、その存在が地域の活性化、経済活動、コミュニティーの形成などに大きな役割を果たしているということである。近年の研究では、イノベーション、起業など幅広い分野で、こうしたソーシャルキャピタルの存在が重要な役割を果たしていることが明らかにされている。

 今回の災害に際して、特に海外のメディアは、日本人の災害に対しての規律正しさと助け合いの精神を称賛している。災害時もパニックにならずお互いに声をかけて助け合う。スーパーの棚が崩れても、略奪や持ち逃げは起きない。起きないどころか、客が棚に商品を戻している。長いタクシーの列にも辛抱強く並ぶ。こういった日本人にとっては当たり前のことが、海外からは驚異の目で見られている。

 これは私の身の回りでも見られてことである。私自身は、地震発生当時、日比谷に居たのだが、交通が途絶したため、近くの帝国ホテルで待機した。ホテルのロビーはさながら難民収容所の様相を呈していたのだが、ホテル側は全くいやな顔一つせず、ありったけの椅子をロビーに置き、さらに無料で毛布やペットボトルの水を配っていた。

 また、知人は大手町のオフィスから4時間かけて徒歩で帰宅したのだが、途中の靴屋さんは「自由に使ってください」と歩きやすい靴を無料で提供したそうだし、あちこちで「トイレあります」という表示が見られたという。

 こうした非常時における同朋意識と助け合いの精神は、間違いなく日本に根強く存在するソーシャルキャピタルだと言える。地域におけるソーシャルキャピタルの存在がコミュニティーを育て、安全な社会を実現する力を持っているように、日本全体のソーシャルキャピタルが世界に誇るべき災害への対応をもたらしたのである。

 これから問われるのは、こうして緊急時に発揮された日本のソーシャルキャピタルが、復興の過程でもその力を発揮できるのかどうかである。歴史的な災禍に直面した日本が、復興のコストを進んで分かち合い、力を合わせて復興できるのか、それが問われることになる。

 今は、災害に対して直接的に支援できることと言えば募金をしたり冷静に節電したりということくらいしかできず、ただこういう記事を読んで吸収しながら、数年後の自分の「出番」を待っています。