「電子書籍元年」とオープン戦略の意味

「電子書籍元年」とオープン戦略の意味

昨年末に購入したシャープのGALAPAGOSだが、経済誌をわざわざ紙買って読まなくてもよくなった点では満足しているものの、それ以外では不満の方が多い。非常にわかりにくい設計の電子書籍サイト、買わせる気があるとはとうてい思えない概要の表示方法、ソフトウェアアップデートの際に生じたミスなど。しかし一番ひどいなと思ったのは、PCとの連携ソフトを使って読めるようになるとうたわれていたPDFが「ファイルを画像として解釈して表示する」という仕様を採用したことで、まともに読める代物にならなかったことだ。

このことは、たんなる設計ミスというよりは、先に述べたビジネスモデルの問題と絡んでいるのだと思う。つまり、TSUTAYAと連携して大々的にリリースした自社の電子書籍販売サイト経由で購入した商品以外は、基本的に読ませないという方針なのだろう。

これはまさに「ATRAC3の悪夢」を思い起こさせる事態だ。グループ内に音楽出版も抱えるソニーが自前で作った流通網にリスナーを囲い込むために採用した「WakmanではATRAC3がデフォルト」という仕様は、結局リスナーのWalkman離れ、あるいはiPodへの流出を促す結果となった。失敗した理由は簡単だ。人はレーベル単位ではなく、好きなアーティストや曲、アルバム単位で音楽を購入するのであり、またデジタル音楽プレーヤーのターゲットユーザーは、既に大量のデジタル音楽ファイルを所有していたという事実を、完全に無視したからだ。

(中略)

iPodはコンテンツをオープンにする一方でデバイスをクローズにすることで、収益性とオープン戦略の両立を達成した。いまのところ電子書籍の世界では、コンテンツもデバイスもクローズというパターンが目立つように思う。それは「新しい流通」の手段に群がる様々なアライアンスのメンバー全員は納得させるかもしれないが、読者は納得しないし、企画そのものがこければ水の泡だ。いま必要なのは、コンテンツをオープンにすることで、デバイスなしでは生きられない人びとを増やし、最後は彼らにビートルズを売りつけるような戦略であるはずだ。

 やっぱりガラパゴス化の方向に向かっているのね……。確かにごちゃごちゃしすぎていてそれがマイナスになっている感がありますね。