脱・個人所有の時代は来るか

脱・個人所有の時代は来るか

 ひとつの方向性として僕は、「所有」「遠出」「地位」という、ある時代にクルマが体現した夢を、別の形に切り替えていくことはできないか、と考えている。個人(とその家族)が遠くに行くためではなく、「みんな」で「近く」を乗り回すために使うカーシェアリング、行く先々で車格を自慢するためのクルマではなく、近い場所で価値観を共有するための、個室としての役割に注目したクルマや、停車時間を上手に利用できるクルマ。個人にとっての価値観ではなく、他者や、社会にとっての価値観を表現するための手段としてのハイブリッドカーやコンセプトカー。現在あるものだって、十分に新しい要素は持っている。それを、うまく新しい枠組の中に位置づけられていないだけだ。

「共有」とか「みんな」とか、ウェブの新しい動向の分野ではとにかくあらゆるところで繰り返されている。でも、完全に情報化された分野でのみそれが起こるのであれば、それはその手の論者が言うような産業革命以来の時代の転換ではなく、単なる新市場の到来に過ぎない。個人が所有し、そこに夢を託すことが当たり前で、それを傷つけられると彼らが強い憤りを覚えるようなモノの消費において脱個人所有化が進まない限り、真の意味でのソーシャルな消費など生まれようもないだろう。