「写真機はいらないわ、五感を持ってお出で」

 ちょっとづつ前のブログの記事を移植していきます。
 

 相変わらずフワフワして落着かない気分で毎日を過ごしていますが、自分の状態に常にちょっとだけ疑いや迷いを持つということは、それほど悪いことでもないと思いはじめています。
 
 自分の状態を疑ったり迷ったりする気持ちを持つということは、何か自分にとってよろしくないことが起こりつつあるとき、すぐにそれに気づいて方向修正するためのアンテナを持つということだ思うからです。

 むしろ、自分に対して一点の曇りもなく確信を持っている状態のほうが僕にとってはずっと怖いです。自分に確信を持って行動し続けて、気づいたときにはもう手の施しようが無く大きなものを失ってしまっていた、という自覚の経験が幾度かあるので。
 

 だから、僕が確信を持って心に留めていることは、「なるべく自分自身について確信を持たないようにする」という、パラドキシカルなことだったりするわけです。なるべく自分で自分を縛り付けないようにすること。自分を決め付けすぎないこと。

 そういう風に、自分の頭の中の枠組みみたいなものに限界を策定しないでそれをずっと広げ続けていくためには、前にも日記に書いた気がするけど、「なんとなく」の感覚はすごく重要だと思います。

 NO MUSIC NO LIFEに出てる林檎ちゃん風に言えば、


「ヒトが鈍化している時代だからこそ五感を奮起させて欲しいわけ。」


 ってことです。

 最近はテレビ新聞に加えてmixiとかブログとかツイッターとかから「それっぽい発言」や「いいことっぽい言葉」が洪水のごとく溢れていて、それに人の感覚が麻痺しちゃっているような気がしていて、椎名林檎が言う「鈍化」っていうのもそういうことなのかなと思うんですが、誰が発したかもわからない言葉に自分の枠組みを勝手に決められてしまわないように、自分が「楽しい」「面白い」「こういうのもありやな」と思うセンサーの感度を上げていくことって、とても重要だと思うのです。