小沢さんにとっての選挙の意味を、コラムニストにとっての連載で考える

小沢さんにとっての選挙の意味を、コラムニストにとっての連載で考える

 でも、本番の国政選挙は田舎者が動かしている。
 田舎の選挙では、田舎の義理と田舎の人情と田舎者のムラ意識と田舎のシガラミが議席を決定する。そういうきまりになっている。若い連中も同じだ。彼らは田舎者の有名人好きと、田舎者のミーハー根性に衝き動かされて投票所にやってくる。都会暮らしの人々だって、自分の選挙区に帰ればモロな田舎者だ。つまり、ここで言う「田舎」というのは、人口の多寡や下水道の普及率や都市化の実態とは無縁な言葉で、要するに、「地元」を意識している人間は、誰もが地付きの人間になるということだ。
 その意味で、選挙では誰もが田舎者になる。縄張り根性と地域エゴと地盤と看板。集票マシンと握手と連呼。とてもじゃないが政策を語っている時間はない。
(中略)
 要は、こういう選挙制度の中で議席を生産する能力を極限まで洗練した政治家が小沢さんだったということだ。
 そして、そんな小沢さんに力を与えたのは、政治について、大きな問いを投げかけることをやめた、われわれ自身でもある。そういうことだ。