レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』

 さよならを言った。タクシーが去っていくのを私は見まもっていた。階段を上がって家に戻り、ベッドルームに行ってシーツをそっくりはがし、セットしなおした。枕の一つに長い黒髪が一本残っていた。みぞおちに鉛の塊のようなものがあった。
 フランス人はこのような場にふさわしいひとことを持っている。フランス人というのはいかなるときも場にふさわしいひとことを持っており、どれもうまくつぼにはまる。
 さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ。

 主人公マーロウのタフネスは、ただ単に喧嘩が強いとか、十全な金を持っているとか、人を動かす権力を持っているとか、そういうものではない。そうではなくて、酔っぱらって打ちのめされているレノックスをたまたま助けたときの、その友情というにはあまりに深く淡い言葉にならない感覚を信じて、暴力や金や権力といったものを振りかざして自分に迫る者たちに決してそれを明け渡さないという、とても地味で、得るもの少なく、とりわけ友情の相手が死んでしまった場合にはほとんど不毛な戦いを耐えきれるということなのだ。
 そしてそういうタフネスは物語という形によってしか示されない。フィクションにおいても、現実においても。数値や勝ちの数でわかるものではないのだ。人間というものの魅力の一つの側面をまた知れて、嬉しい。