ジョブズにとっての「アップル」とヒッピーの「正義」

ジョブズにとっての「アップル」とヒッピーの「正義」

 ジョブズは、ヒッピー崩れだった。
 ジョブズに限らず1970年代の後半にアメリカの西海岸でうごめいていたワイヤヘッド(針金頭:プログラミングに熱中するあまり風呂に入らないために髪の毛がワイヤーみたいになっている当時のコンピュータオタクの総称)は、おおむね、誰もが皆、ヒッピー寄りの人々だった。

 エレキギターとコンピュータは、70年代のドロップアウトにとっては、ほとんど同じ畑に並んでいるコンパチブルなコミュニケーションツールだった。ドラッグ、セックス、ロックン・ロールと電話ハッキング(電話の交換機を解析してタダがけを試みること)も、既成権力に向けた痛撃という意味で同じ思想をはらんだ運動だった。その意味で、ヒッピーとハッカーは、同じ根から出た別の花みたいなものなのだ。

(中略)

  ビッグビジネスとして成長する以前のコンピュータ文化は、ロックミュージックの初期段階がそうであったように、その根本のところに反体制的な思想を宿している劇薬だった。

 それゆえ、ギターミュージックやコンピュータ技術に携わる者たちは、「体制」(クラシック音楽の堅固なオーケストレーションや、既存のビジネス社会のピラミッド式の秩序)への「反抗」(雑音)を企てる者と見なされた。

 意識的に体制転覆を企図していなくても、コンピュータ世界のビジネスパースンのマナーはそれだけで、経済界にとって「脅威」に見えたからだ。

 というのも、コンピュータ企業のメンバーは既存の会社員とはまったく別のマナーを押し通したからだ。しゃべり方や、ファッション、余暇時間の使い方や、政府の人間との交渉の仕方にいたるまでのすべての面で。まるでロックンローラーみたいに。

 これはめちゃめちゃ面白いです。
 多くのネットユーザーにずっこけられたビートルズ配信がジョブズにとってどんな意味を持っていたのかから、ジョブズやその他のITビジネスの巨人たちの成功を読み解く。
 今までにない切り口です。センスあるなぁ。