柄谷行人『探究Ⅰ』

探究(1) (講談社学術文庫)

探究(1) (講談社学術文庫)

 ある意味では、デカルト主義だけではなく、もっと一般的に哲学そのものが「内省」(モノローグ)にはじまっているといってよい。いいかえれば、それは「語る−聞く」立場に立っており、「内部」に閉じこめられている。われわれはこの態度を変更しなければならない。「教える」立場あるいは「売る」立場に立ってみること。私の考察は、平易なようで困難なこの問題をめぐって終始するだろう。

 要するに<他者>とのコミュニケーションは、自分が「命がけの跳躍」ばりによくわからないながらも何かを言った後、事後的にその意味が決まるってことなんですかね。

 「自分が言いたいこと」と「自分が言ったこと」はいつも少しづつずれている。自分は「これから言うこと」を完璧に把握してそれを実際に言うわけではない。話し手と聞き手の間に主体はある。


 この本自体も柄谷さんの「命がけの跳躍」というわけなのですが、<他者>に対する語り口として、「〜しなければならない」というのはどうでしょう。「教える立場」というのが単に「〜しなければならない」と当為の語法で語ることだとしたら、それってどうなの、と思う。

 でも、わかりやすいところはわかりやすいし、勉強になりました!