火事への対処(承前)

 さっき書いた文章をmixiにも書いたら、僕の言っていることはある種理想論だし、じゃあ僕はどうすればよいと言っているのかわからんじゃないかというコメントをもらいました。

 まず、前の文章で僕はアサンジの思想は「奪う」で、そうじゃなくて「与える」思想を持った方がいいと言ったのですが、これはつまり具体的には、情報をかすめ取ることで利益をも奪おうとする前に、利益が対立する相手も(彼らの利益自体は少なくなるかもしれないが)幸せになれるような主張を考えて、相手を説得するような議会民主主義の原則にのっとったやり方をもっとしっかりやった方がいいんじゃないの、ということでした。


 でも、これは言ってみれば誰かが「持てる者」の家に「持たざる者」が火をつけてメラメラと燃えている場面に出くわして、「まぁまぁ、とりあえず二人とも火なんか点けずに仲良くやれるやり方を見つけましょうや」と言っていることに似ています。そういう意味でやっぱりこれは机上の空論で甘ちゃんな話です。おそらく、この「情報流出」という火事はそう簡単に消火はできない、というかこれからますます燃え広がるだろうと思います。最初は放火だったかもしれませんが、火はもう消えないとすれば、放火した奴が犯罪者かどうかを問うことより先にやることがあるはずです。今僕らがすべきことは、ごうごうと燃え広がっている火事によってこれ以上犠牲者が出ないようにするには何をするべきかを考えることなのだろうと思います。


 どうもさっきの日記は前提が少しGigazineの記事にとらわれすぎていた気がします。

 そもそも、情報の発信者がどういう信念を持っていたとしても、情報それ自体が誰かから何かを奪う、ということはありません。要するに重要なのは得た情報をどういうふうに使うかで、Wikileaksが既得の権益者からそうでない人が奪っているように見えたとしても、それは、今まで知らなかった情報を知った人が、その情報を根拠に自分の利益を請求しているということです。

 だから、Wikileaksを「奪う」ものにするか、「与える」ものにするかは、流出することを止められない情報をどう扱うかで決まってくると思います。

 もし、流出した情報を、それをもともと持っていた相手を貶めることに使うなら、それはやはりよくないとは思いますが(その情報が犯罪行為だった場合を除いて)、同じその情報を知った上で、もともと情報を持っていた相手とともに良い方向へ向かうようにソリューションを考えることができるなら、それはそれでいいのかなと今は思います。

 アイスランドでは、ずさんな融資管理で他の業界の10倍のGDPを得ていた金融業の人たちに対する他の国民の不満が爆発したそうですが、そこから、情報の透明性だとか、報道の自由のあるべき姿を議論していることは、いいことなのかもしれません。「情報に対して関心を持つこと」それ自体は悪くない。でもやっぱり情報を使って「戦う」のはいいこと起きそうにないよね、という話です。

 どうもさっきの日記を書いててすいすい気持ちよく書けるなあと思ってたんですよね。こういうテーマで「気持ちよく」書けるときは落とし穴に気をつけろってことですね。ではおやすみなさい。