Wikileaksはなぜ世界中の国家を敵に回そうとしているのか?

Wikileaksはなぜ世界中の国家を敵に回そうとしているのか?

 いくつかとても大事なことが書かれてます。

 Wikileaks自体の目的は秘密の暴露ではなく、「組織が金をかけてまで情報を隠そうとしているというのは、その情報を世に出せば社会的利益がある」という信念に基づいているわけです。

 要するに、アサンジは「情報がもたらす利益」というものは全体では一定不変で、問題はその分配のあり方だと考えているわけです。既得権者がお金をかけて守っている情報を、みんなにも与えれば、一つの水槽の真ん中に立てられ、水が多いほうと少ないほうをわけ隔てていた板を取り除くように、「持たざる者」に利益を与えられるだろう、ということだと思います。
 「お前たちが持っているものを、私たちによこせ」というのがWikileaksの根本の考え方でしょう(多分)。

 もうひとつはこれです。

 「Wikileaksはなぜ世界中の国家を敵に回そうとしているのか?」、その答えとしては「情報公開による民主主義の補強」であるとか「ジャーナリズムの確保」であるとか、いくつも答えらしきものがありますが、少なくともその中に隠されており、明言されてはいないのですが重要な点として「無関心との戦い」というのがあるように感じます。

すなわち、自分たちの暮らしの中のお金があらゆる形の「税金」として集められ、結果として「国家」が運営されているにもかかわらず、そのお金の使い道や本当のことを知ろうともしないという、人々の無関心との戦いです。Wikileaks自体が割とセンセーショナルなことであっても、あえて公開し続ける理由として、取捨選択するよりも、一次情報のソースとしての役割に徹し、メディアには情報の精査と情報流通として広く拡散する役目を期待し、そして最終的に情報を受け取る人に対しては「無関心ではないこと」を求めているのではないかと考えられます。

 「無関心との戦い」とはいいかえれば「自分が持つべきものを他の人が持っていないか、常に疑ってかかれ」ということだと思います。 それは「戦い」です。基本的には「敵」から何かを奪うことが求められます。情報、金、権利、そして命……。
 
 なんだか何が起こっているのは僕にもよくわからないところはたくさんあるのですが、ひとつだけ言えるとすれば、こういうよくわからないときは、自分自身のパーソナルな日常生活の感覚に立ち戻って考えた方がいいということです。
 どうやってるかよくわからないけど、他人のプライベートなことを言い散らして、「あいつらは俺たちが持っているべきものをもっているから取り返そうぜ」と声高に言っているやつは僕はあんまり好きでない。もし世の中がそんな奴ばっかりになったらとても住みにくい世界になると思う。
 ケニアの例でもアイスランドの例でも、確かにWikileaksによって世界は変わって、それによって幸福になった人はいるでしょう。でも、「何かから奪って幸福になる」というマインド自体は変わらないどころか、強化されていくでしょう。
 「無関心との戦い」という言葉はなんだかかっこいいですが、僕たちが本当に求めることは、他人から奪うことからは始まらないような気がします。それは、他人に与えることから始まるのではないでしょうか。既得権を持つ人が利益を得続けることをよしとするのではありません。僕はそういう人たちから奪うことで幸福になろうとするのではなく、そういう人たちに語りかけることで自分たちも幸福になれるように説得するほうが、長い目で考えたらいいんじゃないのと、そう思うだけです。ケニアでもアイスランドでも、次に何かを「奪われる」のは今回既得権益を「奪った」当人たちになるかもしれないのだから。