“戦力にならない”若手社員はなぜ増えた?

“戦力にならない”若手社員はなぜ増えた?

 ご存知のとおり、「生きる力」や「人間力」の養成を求めるゆとり教育に対して、90年代末に学力低下を憂うる声が上がった。そうしたなかで、新学習指導要領が出され、結局のところ従来型の知識重視の教育と、人間力の形成の両方が必要だといわれているが、もはや仕事の世界は「学力」か「生きる力」という二項対立で対応できる状況ではない。

 そもそも知識重視型の学力については従来型のテストによって測ることができるが、「人間力」と言われるコミュニケーション能力や問題発見能力、論理的思考能力などの抽象的な能力を、教育機関が形成し、そして評価するのは、より困難さをはらむ。

 特に企業側が重視しているコミュニケーション能力は、相手がいてはじめて成立するものであって、個体のなかにその能力が存在するものではない。また、場面によって変わったり、評価する側の恣意性が入ってしまう。非常に抽象的で、教育目標としては手触り感がなさすぎるといえるだろう。

 (中略)

 雇う側である企業も、「ジェネラル」で「スーパー」なコミュニケーション能力の高い若手を求めるだけでなく、特定の個別分野の知識と技能を持ち、確実に役割を遂行できるような人を雇うことの価値を認識してほしい。そうでなければ、存在する多様な才能や素質、技能を無駄にしてしまうことになる。企業の人材への評価軸が異常に狭いことが、むしろ社会全体を沈滞させ、日本経済の活性化を阻害しているのではないか。

 確かに選択肢が少なすぎる気がします。いろんな専門性の教育があってもいいと思うが、それは、純粋な学力のための知識をないがしろにしてもよいとか、普通科、人文科学科のような職業的な関連が薄い学科をなくしてもよいとかそういう意味ではないと思います。

 「学力」も「人間力」も関係なくいろいろやればいいと思うんです。いろんな人材が育ってリスクをヘッジしてくれて。そのための土壌があればいいのでは。